[コラム] 「終活」・「エンディング」をめぐって

「終活」という言葉をよく耳にします。最近は「終活カウンセラー」「終活アドバイザー」と呼ばれる専門家がいる相談センターもあり、書店では「エンディングノート」が売られるなど、日本社会ではすっかり定着した感があります。
この「終活」、7、8年前に某週刊誌が造った俗語とのこと。当初は自分の葬儀やお墓をどうするのかという事前準備のことを指していたようです。
最近では、僧侶などの宗教家、法律や税務の専門家、医療従事者や葬儀業者など、それを勧める人によって様々な視点から語られています。「事前準備」、遺言を作成する前に自分の気持ちの整理をするため、あるいは住まいの処分をはじめ死後の諸事務を親族などに託すため「エンディングノート」を作成したり、また「終活」の過程でより自分らしい生き方を模索したいなど、その目的も人それぞれ。単身の高齢者が増加傾向にある超高齢社会において、他人や親族に迷惑をかけたくないと考える人は多く、「終活」は高齢者にとっては重要なテーマになっていると言えます。
私たち同胞はどうでしょうか? 日本社会と同様に高齢化が進み、かつての植民地支配と祖国の南北分断、さらには南北朝鮮と日本の政治的関係など、日本人とは全く異なる背景を持つ同胞高齢者の中には、日本に身寄りがいない方も少なくありません。そのため、同胞法律・生活センターにも遺言の作成をはじめ成年後見人に関する質問や、「死後の事務をどうしたらよいか」「生まれ故郷に帰りたい」という相談が寄せられています。
他方、世代交代が進み、チェサ(祭祀)をはじめ伝統的な冠婚葬祭のやり方に戸惑う若い世代も多いのが現実です。高齢の1世や2世の親が亡くなり、「故郷の出生地がわからない」「祖父母の名前や故人の真の名前がわからない」ということもあるようです。また、「民族の風習に則って葬儀をするか、日本の業者に任せるか、兄弟姉妹で大げんかをした」「納棺の際、何を棺に入れてあげればよいのか、わからなくて困った」など、死を悼むどころではなかったという話もよく耳にするのではないでしょうか。
家族への思い、託したいこと、そして自分の意思が、故人の歩んだ尊い生涯を受け止め見送る家族の思いとうまく調和するよう、普段から葬儀についても話し合っておくことも自分らしいエンディングのための「終活」と言えるのかもしれません。